おはんこ日記

映画の感想など

公園で(自分は人間じゃないかもしれない)と考えること

「好きな公園」というテーマにかこつけて、好きなことを書く記事…のはずが、今週のテーマですらなくなってしまった。でも、書く。

 

好きな公園は、なんてことのない、近所の公園である程度開けていてベンチがある公園。気軽に行ける所が一番だと思う。

(画像の公園にはベンチがない…)

今は子供と共に公園に行く機会が多い。休日には遠出して、大きめの公園に行くことがある。

そのとき、1家族ではなく、2つ以上に家族で公園に行っている親子連れを見ると、すごい!って思う。
テントみたいなものを立てていて、テーブルとイスセットも持ってきたりしていて、みんなで食事していたり、おやつを食べていたりする。
親同士も子供同士も仲良くて、お父さんたちが明るく楽しく盛り上げていて、お母さんたちももちろん息が合っていて…

家族同士でお出かけして…とまではいかなくても、平日に仲良しの数組の親子(お母さんと子供)が遊んでいるのを見るだけでも、私からしたらハードルが高く、ほとんどできていない…

公園でそういう家族を見ていると、人間は社会的動物であることを実感する。「人間は人の間にいるから人間」なのかなぁ?って思う。
金八先生で聞いたセリフだったと思うんだけど、検索しても出てこない…違うのかもしれない)

「人の間にいるのが人間なのだ」とすると、私は人間なのかな?って思ったりする。
自分の家族がいるのに何を言っているのか…と言われるだろうが、思ってしまう。
家族と他の他人はやっぱり違うというのもあるが、もともと私は自分が人間じゃない気がする…とよく思ってきたので、その延長でもある。

 

子供のころは、私は人間ぽくないなぁ…とよく思っていて、ナメクジみたいなものだなぁ、と思っていた。
自分を蔑んでいたわけではなく、よく庭でナメクジを見ていて可愛いと思っていたし、群れているのを見たことがなかったからだ。
なぜそんなことを思っていたのかと言うと、子供ながらに「人間は人の間にいるから人間なのだ」ということを何となく思っていたのだろうと思う。
いや、その頃も家族はもちろん、遊ぶ友達もいないわけではなかったが、イマイチやりとりが上手くいっていない気がしていなのだった。

そういう風に、自分が人間であることに揺らぎを感じることはずっとあるが、公園もそういうことを感じがちな場所である。
子供がいる良い年の大人が何をやっているのか…と思うが、実際そう感じてしまう。

とはいえ、私ももう大人なのだから、一歩進んだ考え方をしないといけないような気がする。
例えば、「人の間にいるから人間」という考えに囚われてしまっても、そもそも地球が丸い限り、どんな孤独な生き方をしている人間でも、物理的には人の間に生きているはずである。
意味が違ってくる気もするが…でも、こじつけでも自分を幸せな状態に自分でできるのが大人だと思う。それが、人類を幸せにする第一歩なのだから(多分)

そういう風に(?)揺らぎながらも、子供と公園で、私は自分は人間なのだ、と再確認する。再確認するように自分を励ます。

でも、やっぱり、自分はまだ人間に至れていない気がするので、周りの人間の服装や行動をよく見て真似して、よりよく人間を目指そうと思う。
うっかりしていると、季節外れの服装をしてしまい、変な人間になってしまう。
(変な人間でも人間であることに間違いはないが…)

 

よく分からない文章になってしまったけど、同じようなことを考えながら公園にいる人は他にもいるのかもしれない。