おはんこ日記

映画の感想など

ネットに依存してしまう自分との(敗北ばかり)の闘い

ここ数年、ずっと悩んでいること…


ネットに依存してやるべきことができなかったり、落ち込んでしまったりするのをやめたい。

同じ過ちを繰り返してばかりいる自分がいいかげん嫌になったので、この場で今の状況を確認し、対策を考えたい。

 

 

1.Twtterをやめたこととその結果

今年、私のネット上での一番の変化は、Twitterをやめたことだ。

時間をたくさん使ってしまうことや見なくても良い情報が目に入って落ち込んでしまうことを何とかしたかったのだけど、対策をしようとしても自分に負けてばかり…
やめる以外に方法がなかった。

 

(1)Twtterをやめたメリット

時間は前よりもできたし、精神的にも前よりは良くなった。
Twitterをしていた頃はスクリーンタイムが週の平均で10時間を超えることもよくあったが、今は多くても6時間台で済んでいる。

私が卑屈なだけなのかもしれないが、Twitterの呟きを見るときに同時にRTやいいねの数が目に入ってしまい、呟きの内容よりもその数字で「強さ」や「正しさ」みたいなものを感じてしまっていた。
さらに調べるとフォロワーの数でも同じように「強さ」や「正しさ」を感じた。
圧倒的に多い呟きや人には勝てないな、と勝手に思ってしまっていた。

私自身は反論が来るような呟きはせず、無難な呟きを心掛けていた。
それでも、他の人のツイートを見てしまって、心が落ち着かなかった。
興味のある話題を見ているだけのはずなのに、いつのまにか心は荒んだ。

自分と同じ考えの人の呟きが全然いいねやRTを得られず、その反論である引用RTのコメントにたくさんいいねやRTがあると自分は間違っているのか? とか思ってしまう。
私の現実には関係しないようなことでも、「負けた」とか思って落ち込んでしまう。

馬鹿らしいと思っていても、Twitter自体をやめるまではそのことをやめられなかった。
Twitterをやめることで、自分でも馬鹿らしいと思っていた行いをやめることができてホッとした。

 

(2)それでも似たようなものを見てしまう…

Twitterをやめたが、他のものを見ているときにTwitterを見ていたときと同じような感覚に陥ることがよくある。
たとえば、はてなブログにもスターや読者数といった数字がある。
(このブログでは自分が我慢できないから消している。自分でどうにかできる余地があるのはTwitterより大分良い)

他のブログにもいいねや拍手といったものは大体あるし、読者やフォロワーの数が見えるものも多い。
はてなブックマークのコメントやYahoo!ニュースのコメントにもスターやいいねはある。

他にも知恵袋やがるちゃんとか…挙げだしたらきりがない。

そもそも数字なんか気にしなければよい話なのだが、嫌なことに色々遭遇してから過敏になってしまっている。
できるだけ見ないようにしているけど、見てしまう。

自分が支持できる意見にたくさんいいねが付いていたら満足して、もっと見たい、ってなってしまう。
逆に、自分が支持できない意見にたくさんいいねが付いていると何とも言えない嫌な気分になって、それを挽回しようと他の意見はないかと読み漁ってしまう。
結果、スマホiPadなどでネットを見ている時間が増えてしまう。

Twitterをやめることでマシにはなったが、結局何かしらのネット上の言葉を見ることに依存してしまっている気がする。
自己嫌悪する日も多い。このままではいけないと思う…

 

2.ネットに依存してしまう理由 

そもそもなぜネットを見ることに依存してしまうのだろうか?

 

(1)現実と自分に向き合いたくないから?

こないだこの記事を見て、私にとってのインターネットはこれなのかもしれない、と思った。

blog.tinect.jp

 

記事の中で「ゾーン」という言葉が出てくる。
「ほかの一切がどうでも良くなる」状態。

私もネットでいろいろ見ることで、ゾーンに入っているのかもしれない。

ゾーンに入れば現実を忘れられる。
つまらない自分や散らかった部屋のことを気にしなくても良い、というメリットがある。

(2)ネットでは解決することが多くあるが、現実ではそんなにない

現実よりもネットの方が優れている点として、ネット上ではよく物事が解決するといことがある。

いいねにしても、良いとされるものにはいいねが多くつき、結果として現れる。
マイナスボタンがある場合はその逆もある。
実際それが本当に良いのかどうかはともかく、一応白黒はっきりする。

世の中の困ったことに対しての解決策を教えてくれる人も多い。
「〇〇買ったら良いよ」とかも教えてくれる。


現実では、そもそも何が良いのかすらはっきり分からないことが多い。
何か行動を起こさなければいけないが、起こしたからと言って自分が望む結果が得られるわけではない。
(ごはん作ったけど、子供が食べなかったとか)
行動に起こしようのない、どうしようもないこともある。
(お金の問題とか)

それでも自分が良いと思う結果になることを信じて行動に起こさなければならない。

それが当たり前の大人のあり方ではあると思うが、逃げ出したくなる弱い自分がいる。
情けない話だが。

3.現実と向き合うために…

理由を考えたので、次は解決策を考えたい。

(1)自分に期待しない

ドレイが、ドレイであることを拒否し、同時に解放の幻想を拒否すること、自分が、ドレイであるという自覚を抱いてドレイであること、それが「人生で一番苦痛な」夢からさめたときの状態である

 

突然の引用。
最近読んだ「高校生のための批評入門」という本の一文である。
私は高校生ではないが、面白そうだったので読んでみた。
映画の感想をもっと批評っぽく書きたいという欲望があったのも読んだ理由。

 

 

その本の中で、竹内好という人が魯迅の思想について書いた文章の一部である。

私はこの文を見てこれだ!と思った。
この文のドレイを「ダメな人」に置き換えたら、私が目指すべき人物像になる。

毎日、やらなきゃいけないことが出来ず自己嫌悪に陥るダメな自分…そこを見たくないがためにネットに逃げてしまう自分…

もちろん、ダメなところを直す努力はしたい。
しかし、いくら頑張ったところで私は私以外のものにはなれない。
多少の改善はあったとしても、ダメ人間からの脱却はまず不可能だろう。

ダメ人間である自分を直視して、なおかつダメ人間以外のものになるという夢想を抱くことも拒否する、という魯迅のような強さが私に求められている。

そういう心の強さを持てば、ネットに逃げることもなくなるかもしれない。
夢想に逃げることがなければ、もっと自分を大切にすることもできるかもしれない。

(2)やるべきこと、やりたいことはなるべく早く

ネットをして自己嫌悪に陥るというのは、やるべきことや、やりたいことができないという理由が大きい。

やるべきことから逃げるのはまだ分かるが、やりたいことからすらも逃げてネットをしてしまうという謎のダメさがある。

ネットをしてしまい、やるべきことややりたいことができない時間が増えると、自己嫌悪が募る。
それを防ぐために、なるべく早く行動に移すべきだと思う。

やるべきこと、やりたいことを紙に書いてしまう。
それを順序は気にせず、やれることから始めてみる。
「動いている」状態を作ることが大事だな、と長年の失敗経験から学んだ。

最近はポッドキャストを聴くこともある。
耳から言葉を入れていたら文字を読む余裕はなくなるし、かつ聴きながら作業することもできるので良いな、と思う。
疲れたら、ヨガ用の音楽とかを聴く。

 

終わりに

ネットに依存してやるべきことができなかったり、落ち込んでしまったりするのをやめたい。

この気持ちは本物だが、何回も過ちを繰り返している。
それが嫌で今回振り返り、対策を考えてみた。


また私は誤ちを繰り返すだろう。
長い闘いになるのだろう。

それでも、挫けずに闘っていきたい。
数えきれない敗北の中でも、小さな勝利を重ねていきたい。

読んだことはない。