おはんこ日記

映画の感想など

悪役に感情移入するのは良くないのかもしれないと思った話(それでもしてしまう)

私は悪役に感情移入してしまうところがある。

いや、「ところがある」どころか、何を見ても大体悪役に感情移入してしまう。
このブログの記事を読んでも、恥ずかしいくらいに悪役に感情移入してしまっている。

物心ついたときからそうなので、このままずっといくのかな…と思っていた。
しかし、数日前、悪役に感情移入するのは人間として良くないのかもしれない、変えた方が良いのかもしれない(手遅れかもしれないけど)と思う出来事があった。

今回はそのことについて書く。

 

悪役に感情移入してしまう私

 

私が初めて感情移入した悪役といえば、昔話のかちかち山に出てくるタヌキである。
「溺れ死にました」という一文に衝撃を受けて、可哀想だと思ってしまった。

母にタヌキの話をした反応から分かったことは、どうやらタヌキは悪いやつなので(確かにおばあさんを殺している)溺れ死んでも仕方のないやつ、というのが普通の人の考え方らしい。恐ろしいと思った。

私はなぜか自分をタヌキに重ねて見てしまっていたので、どうしたらタヌキは救われるのだろうか?とずっと考えたりしていた。


その後も大体は悪役側に感情移入してしまった。
もちろん、悪なら誰でもというわけではない。感情移入しない(できない)悪役もいる。

私は自分がそんなに強く正しい人間ではないのかもしれない、と子供の頃から感じていた。
だから、弱さに溺れ、罪を犯す悪側の方に感情移入して、彼らの視点で物語を見がちだ。

そんな自分が嫌になったことは何度もあるが、しょうがないかな、とも思っていた。

 

物語の主人公のように生きようとするのは難しいけど美しいな…

 

数日前、私は夫の話を聞いていた。
それは仕事の愚痴だった。

仕事をしてくれない人間がいて、リーダー役として困っているという話をしていたのだが、その話の中で「でも、スポーツ漫画に出てくるリーダーとかだったら、ダメなところがあるメンバーにもやる気を出させて活躍させられるんだろうな。俺がダメなのかな」みたいなことを言っていた。

私はそこで衝撃を受けてしまった。
そのリーダーとやらは主人公ではないのかもしれないが、主人公に近い人間であるのは間違いない。少なくとも悪役ではないだろう。

私みたいに捻くれていない、夫のような人間は、主人公のように生きられなくても主人公に自分を重ね、そうなれるように努力しようと思うものなのかもしれない。
なんて真っ当で美しい生き方!と私は心から思った。

私は主人公に自分を重ねることをせず、悪役に感情移入することによって、努力して少しでも良い人間になろうとすることから逃げ続けているのかもしれない。
そんな私は美しくないのかもしれない。

 

悪役に感情移入するのは良くないとは言い切れないけど、主人公側にも感情移入しても良いのかもしれない

 

悪役に感情移入することことが即イコールで努力を嫌い、良い人間になろうとすることを放棄していることになるわけではないと思う。
私も全く努力していないわけではないし、できれば良い人間になりたいとは思っている。

ただ、「自分なんかが主人公に感情移入してはいけないんじゃ…」みたいな変な遠慮があるような気がする。
それが努力することに対する遠慮にも繋がっている可能性がある。
主人公側にも感情移入しても良いんだ、と自分の可能性を拡げることを許したいと思う。

それとは別に、やっぱり悪役に感情移入するのはやめられないな、とも思う。
彼らには彼らの魅力が確実にあるし、彼らから教えられたことも沢山ある。

自分で自分を制限することはやめて、自分が思うようにやっていきたい。