おはんこ日記

映画の感想など

スーサイド・スクワッド(2016)を見た(悪役になり切れない悪役、それに安心するダメな自分)

上映中の「ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結」ではなく、2016年の作品であるスーサイド・スクワッドを見た。

 

 (内容についてネタバレになる部分があります)

他の人の 感想を見てみたら評価が低かった。
見ない方が良いかな…と不安になったが、DCエクステンデッド・ユニバースの作品だし、やっぱり見てみたいと思った。

 

あらすじ。
アマンダ・ウォラーという人物によって、警察に収監されたヴィラン達を集めた「スーサイド・スクワッド」が結成する。
首にナノ爆弾を打ち込み、逃げた者は殺す、という方法でヴィラン達は協力させられる。
しぶしぶ戦っていたスーサイド・スクワッドの面々だったが、いつの間にやら仲間意識のようなものが生まれ、敵を倒すようになる。

 

 

観ていて悪くはない、と私は思ったのだが、不満が出るのも分かる。

1人1人ではメインになれないレベルのヴィランが集められたのが始まりのスーサイド・スクワッドなのだから、華がないのが当たり前で、その中で人気のあるハーレイ・クインが飛びぬけて魅力的なのは仕方ない気もする。
もちろん、演じたマーゴット・ロビーも良い。
リーダー格のデッドショット…ウィル・スミスは悪役感がないのが良くない。

スーサイド・スクワッドが立ち向かう敵、エンチャントレスの力はすごそうなのに、なんか変なダンスのような動きをしていて、緊張感を削いでいる。
悪役たちに対峙する悪役なのだから、もっと凶悪さを出してほしかった。

 

ジョーカーの出番は少ない。出ても、ハーレイを救い出す王子様のような役割で、これはジョーカー?という疑問が出る。
ハーレイがいない寂しさで本領発揮できていなかったのかもしれないが…

 

悪役が集結しているはずなのに、振り切って悪役をしている人がほとんどいないという謎の状況が、映画の緊張を削いでしまっている。
ヴィランを纏めているだけのはずのアマンダ・ウォラーの方が悪役味があるという始末…
期待外れと思われても仕方ない気もする。

 

 

それでも、私は悪くなかったな、って思った。
特に、良かったのはヴィランの1人であるエル・ディアブロだ。

途中でメンバーがバーのようなところで会話するシーン。ディアブロは自分の過去の話をする。
自分の力をコントロールできず、妻と子供を殺してしまった、という悔恨が語られる。

私はそこで衝撃を受けた。本人は本気で後悔しているのだが、あまりにも同情ポイントが低すぎる話だったから。
私は自分の同情(共感)する対象が人と違うことが悩みだったから、他の人がどういう人間に対して同情するのかにずっと興味を持っている。

ディアブロについても、私が同情するかしないかというとするんだけど、他の人が同情するかというと難しいと思う。
映画「ジョーカー」でジョーカーは母親を殺すが、その母親は毒親といえる母親で、同情の余地はあった。
善良な人物である自分の妻子を殺すなんて同情が難しすぎるのでは…?

実際、ハーレイはディアブロを突き放す。正解だと思った。
悪役とはいえ許される行為と許されない行為がある。

しかし、他のメンバーはハーレイを諫める。
それから色々あって、ディアブロは自分を犠牲にして死ぬ。
感動的な流れで終わり、感動して良いのか?と不安になった。

でも、感動しても良いんだよ、という作品の雰囲気(?)に私は別の種類の感動をしてしまった。
なんか…一般的に支持される人物じゃないかもしれないけど、一生懸命生きていたし、それを描こうとする姿勢に感動した。

 

この作品も所属しているDCエクステンデッド・ユニバースのシリーズは「ジャスティス・リーグ」が大コケしたために打ち切りのような形になってしまった。
資本主義社会において一番ダメなのは多くのお金を得られない=多くの人の支持が得られない、ということなのだろう。
それは、そこに出演する人物にもいえる。
主人公にボコボコにされてスカッとさせるために魅力をとことんなくす、とかではない限り、悪役も例外なく人々を魅了するものがないといけないだろう。

 

そういうシビアな考えを抱く必要がそこまでなかった(?)この作品の甘さみたいなものを感じて、私はなんか居心地が良くなった。
女性の描き方とかも今の時代(5年しか経っていないが)だと微妙な雰囲気だし、いろいろ文句のつけられるところはあるが、なんかダメな私が許される感もある。

 

続編の「ハーレイ・クインの華麗なる覚醒」では、一番人気だったハーレイ・クインと女性メンバーだけで(魅力のない)男性の敵を倒す。
多くの人に指示されるのは分かるけど、眩しすぎた…私がダメなだけなんだけど。

 

スーサイド・スクワッド」は悪役が主人公の作品として観るとダメかもしれないが、大物ヴィランにもなれなかった落ちこぼれヴィラン達の話として観ると愛おしく思えるかもしれない。