おはんこ日記

映画の感想など

わたしとインターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

振り返ってみると、インターネットがあって良かったな、って思う。

私は感情移入をする対象がいつもおかしかった。悪役とかにばっかり感情移入してしまう。
それでなくても、いろいろ考えなくても良いことを考えて一人でモヤモヤしてしまうところがあった。

そんな私がインターネットで救われた部分は結構あったと思う。

 

 2ちゃんねる

 

一番お世話になったのは2ちゃんねるだった。
懐かし漫画板の「金田一少年の事件簿」スレが特に好きで、2001年頃から10年くらい見ていた。
書き込みはほとんどしなかったけど……

金田一少年の事件簿」は、主人公の金田一も人気だけど、同じくらい犯人の働きが重要で、注目される。
当たり前だが、犯人によって好かれている又は嫌われている度合いが違う。それでも(例外はあるが)犯人は皆殺人犯ではある。大体の犯人には同情できる理由があるとはいえ、殺人犯であることに変わりはない。
そんな殺人犯が支持されているという場が、私には居心地よかった。

何かというと「一番同情できる犯人は誰か」「一番同情できない犯人は誰か」という話題になり、幾度となくランキングが付けられていた。
毎度「同情できない」とほぼ全員に言われる犯人もいる。それでも、「ここは同情できるかもしれない」というフォローがついたりもする。
そういう、白黒に完全に分かれない空間、同情できない犯人でもある程度理解はされる、という空間が好きだったな。

特に黒死蝶殺人事件という事件の話題が好きだった。
被害者が可哀想、犯人は絶対許せない、と言う人と、でも犯人も同情できるところがある、と言う人に分かれて、相容れない雰囲気になったりした。「被害者も犯人も天国で幸せに暮らしている」みたいにフォローされたりした。それに対して「犯人が天国に行くなんておかしい」という意見も出たりした。


現実世界での私は「人の気持ちが分からない」と言われることがあった。
それは全ての気持ちが分からないというわけではなく、共感すべきひとに共感できないという意味だ。
フィクションの本などを読んで、主人公に共感できない人は「人の気持ちが分からない」と言われる可能性が高い。逆に悪役に共感できなくてもそこまで言われることはない。

子供の頃から私はそんな風潮に「おかしくないか?」と思っていた。
だから、「金田一少年の事件簿」スレは居心地良かった。
どんなに同情できない犯人でも、そこに同情の余地を見出そうとする人がいるということを知れて嬉しかった。


ブログ

 

 

ブログは読むのも書くのも好きだった。

一時期、ジャニオタでもある私ははてなブログのジャニーズブログを見るのが大好きだった。
一日に何回もチェックしていた(ヒマ人)

まだジャニーズのグループには派閥があって、違う派閥のグループ同士は共演しないということが当たり前だった頃。
2010年代、まだSMAPがいた頃。事務所の力が今よりも安定していた頃で、だからこそなのか小さいことに一喜一憂してブログで長文を書いている人が多かった。

私もブログを書いていた。
blogramというサービスを使っていて(ランキングサイトみたいなもの。ブログからキーワードを拾ってくれてジャンル分けしてくれる)似たようなブログを探したりもした。

本当にしょうもないことで一喜一憂して長文書いていた
今でも思い出すのは私の好きな人(自担)のいるグループとある当時の若手グループとがMステで共演したときに、その若手グループの若い魅力が眩しくて、自担グループが魅力で負けていた……と勝手にショックを受けて長々記事を書いた。
数日後、録画を見直してやっぱり自担グループが一番好きだなー、って思ってその気持ちをまた長文の記事にして再確認した。

アホな一人語りだったが、当時は(私ほどのアホではなかったが)長文で個人的な気持ちを書いているブログがたくさんあったので、目立つことはなかったと思う。

そういう自分の気持ちを綴った長文を書いて埋もれさせ、また他の人の長文も読める空間が楽しかった。

批判について

 

私はブログに良いことばかりではなく、批判のようなことも書くことがあった。

金田一少年の事件簿について、金田一の美雪や他のキャラに対するセクハラや性犯罪めいた行為について指摘したことがあった。
(当時アニメが放送されていたので、その感想の中で)

ジャニーズについても、自担の女性お笑い芸人に対する扱いとか、「女性はサラダを取り分けて欲しい」といった発言について苦言を呈したこともあった。
自担のいるグループのメンバーが小説を書いた時も、その中の女性の扱いが結構酷くてショックを受けたこともあった。感想にもそれを書いたりした。

当時の私は自分の意見がそんなに力を持っていると思っていなかったから、逆にのびのびと嫌なことは批判することができた。

当時より今は一人一人の批判が力を持っている。実際に物事を動かす力にもなる。


自業自得の理由とはいえ、私の好きな人が批判されたことがあった。
そのときに人は皆で団結して、叩くべき存在を叩くのはとても楽しいものなんだな、と実感することになった。
叩かれた側からしたらたまったものではないだろうけど。
(それでも叩かれるに値する場合もあるだろうけど)
叩かれた側ファンも、本人程ではないだろうが辛かったけど。


私だって、好きな人じゃない人が叩かれていたときは内心嬉しくなったりした。
その人が叩かれている間は私の好きな人が叩かれることはない、という汚い思惑もあった。
安心は一瞬で、すぐに私の好きな人も叩かれたけど……


それでも、どんなに批判されている側の人間にでも仲間はいることが分かるのも、またインターネットだ。
私も、好きな人が叩かれていたり、自分や家族の属性が批判されているときに、同じ立場の人が集まる場に癒しを求めたことがある。
それが良いことなのかどうかは分からないが、人間の大らかさみたいなものを感じる。
自分が少数派であることに絶望しそうになっても、諦めずに探せば同じ考えの人は見つかる可能性が高い。


とはいえ、私自身が批判される辛さを知ってしまったので、批判することは私にとって困難なことになっている。
怖いもの知らずだった頃は良い思い出として残っているが、あの頃と同じようにはできない、と今は思う。未来は分からない。

 

またブログを始めた。

その気はなかったのに、映画を見てものすごく感動してしまい、言葉にして残したくなった。書く場所が欲しくて新しくブログを作った。

今後はどうなるか分からないけど、続けていけたら、と思う。